中村喜四郎氏は長年の政治経験を持つ人物として知られていますが、ついに次の衆院選を前に引退を表明しました。
その背景には高齢という理由が挙げられていますが、彼の人生には他にも波乱がありました。
その中でもSMクラブに通っていた過去が明るみに出て、息子との親子ケンカに発展したエピソードは衝撃的です。
今回は、中村喜四郎氏の引退理由やその過去の出来事について詳しく掘り下げていきます。
中村喜四郎の引退理由は高齢が原因?
中村喜四郎氏は、衆議院議員として15回の当選を誇る「無敗の男」として知られていました。
しかし、次の衆院選に出馬しない意向を表明し、その理由として「高齢」を挙げています。
記者会見では「そろそろ出処進退を考えないといけない」「健康なうちに辞めるべきだと確信した」と述べ、これまで支援してきた後援会や地元の支持者に対しても、決断を伝えたと言います。
解散・総選挙の可能性が取り沙汰される中、高齢であることを理由に、進退について地元の支援者に相談していたという。会見で「そろそろ出処進退を考えないといけないと思い、心身とも健康なうちに辞めるべきだと確信した」と述べた。
中村氏は1949年生まれ、2024年には75歳となります。
長年、衆議院議員として活躍してきた彼にとって、体力的な限界を感じることも少なくなかったでしょう。高齢による体調面の不安が大きな引退理由の一つとなったと考えられます。
無敗の男の経歴まとめ
中村喜四郎氏は、1976年に旧茨城3区から初当選を果たし、その後も無所属ながら衆議院議員として圧倒的な支持を受け続けました。
ゼネコン汚職事件での逮捕や収監などもありましたが、復帰後も選挙で負けることなく当選を重ね、地元の支持基盤を強固に保ってきました。
しかし、2021年の衆院選では、初めて自民党候補に敗れ、比例代表で復活当選。
この選挙結果が、引退を考えるきっかけになったとも言われています。
以下は中村喜四郎氏の経歴を時系列でまとめた表です。
年 | 出来事 |
---|---|
1949年4月10日 | 茨城県猿島郡境町に生まれる |
1972年 | 日本大学法学部を卒業 |
1972年 | 田中角栄事務所に入所し、田中角栄の秘書を務める |
1976年 | 第34回衆議院議員総選挙に無所属で出馬し初当選(茨城3区) |
1976年 | 自民党から追加公認を受け、正式に入党 |
1982年 | 第1次中曽根内閣で建設政務次官に任命される |
1987年 | 経世会事務局長に就任 |
1989年 | 宇野内閣で科学技術庁長官に就任(戦後初の戦後生まれ閣僚) |
1992年 | 宮澤内閣で建設大臣に就任 |
1994年 | ゼネコン汚職事件で逮捕、議員失職 |
1997年 | 東京地裁で懲役1年6ヶ月の実刑判決 |
2003年 | 最高裁で上告が棄却され、実刑確定。衆議院議員を失職 |
2005年 | 第44回衆議院議員総選挙に無所属で出馬し、茨城7区から返り咲き当選 |
2009年 | 改革クラブに入党 |
2011年 | 無所属のまま自民党二階派(志帥会)に客員会員として入会 |
2017年 | 第48回衆議院議員総選挙で14回目の当選 |
2018年 | 立憲民主党に入党 |
2021年 | 第49回衆議院議員総選挙で敗北も、比例復活で当選(15回目) |
2024年 | 次期衆院選への不出馬を表明し、政界引退を発表 |
この表は中村氏の政治キャリアを中心に、重要な出来事をまとめたものです。
中村喜四郎の過去のSM通いと親子ケンカの真相とは?
中村喜四郎氏の政治人生は波乱に満ちていますが、その中でも異色なエピソードが「SMクラブ通い」が明るみに出た一件です。
1993年、六本木のSMクラブに通っていた過去が週刊誌で報じられ、これが彼の家庭にも大きな波紋を呼びました。
当時、喜四郎氏の長男はまだ小学生でしたが、この出来事が彼の心に大きな傷を残し、後年、親子で取っ組み合いのケンカをするまでに発展しました。
そのむかし、六本木のSMクラブの元女王様が中村とのプレイを「週刊現代」で告白する。1993年のことだ。当時、中村の長男はまだ小学生で、そのことが心の傷として残りつづけ、後年、親子で取っ組み合いのケンカをすることになる。
喜四郎氏の家庭は政治家一家として知られており、父も母も参議院議員を務めた経歴を持っています。
中村喜四郎が息子・中村勇太に残したものとは?
中村喜四郎氏の息子、中村勇太氏もまた、父の後を追う形で政治の世界に進みました。
【顔画像】中村喜四郎の息子・隼人は県議!現在までの経歴・学歴と尾を引く確執とは?
喜四郎氏と息子・勇太氏との関係は決して単純ではありませんでしたが、政治家としての在り方や信念はしっかりと受け継がれているようです。
勇太氏は、無所属にこだわりを持ち、自民党や他の会派にも依存しない独自のスタイルを貫いています。
まとめ
今回は、中村喜四郎氏の引退理由やその過去のエピソードについてお伝えしました。
高齢を理由に政界引退を決意した喜四郎氏ですが、その人生には波乱万丈な出来事が詰まっています。
SMクラブ通いが明るみに出た過去や、息子との親子ケンカといった個人的な問題を抱えながらも、彼は政治の舞台で強い存在感を放ち続けてきました。
今後は、息子・勇太氏がどのように父の政治的遺産を受け継ぎ、発展させていくかが注目されます。