小林鷹之元経済安全保障相が「普通のサラリーマン家庭で育った」と強調することがあります。
果たしてそれはどんな背景があるのでしょうか。
彼の父親である小林泰芳さんも重要なカギを握る人物です。
父が倒産という苦しい経験を乗り越えた経験や経歴などを踏まえ、息子・鷹之が尊敬した人物像の真相について掘り下げます。
小林泰芳氏の経歴と商社倒産の真相とは?
小林泰芳さんは香川県出身で、高校を卒業後に中堅総合商社「大倉商事」に入社し、順調にキャリアを積みました。
80年代にはインドネシア駐在を経験し、木材調達を担当するなど国際的な舞台でも活躍。1994年には「カナダ大倉」の社長に就任しました。
順風満帆なキャリアの中で、息子・小林鷹之さんが東大に合格したのもこの時期です。
しかし、1998年に「大倉商事」は経営悪化のため倒産。
これにより、泰芳さんはキャリアの転機を迎え、倒産は、家族にとっても大きな影響を与えたことでしょう。
当時、東大生だった小林鷹之さんも父の苦難を間近で見ていたため、彼の将来観に少なからず影響を与えたと思います。
当時56歳の泰芳さんは、商社マンとしての道が閉ざされましたが、その後「株式会社ノダ」という建材製品メーカーに再就職します。
商社倒産後も輝き続けた父のキャリア
泰芳さんは倒産後も、「ノダ」にて新しいキャリアを築き、持ち前の商社マンとしての経験を活かして、重要な役職に就任しました。
倒産後すぐに貿易事業部長となり、2002年には取締役、2008年には常任監査役にまで昇進しました。
商社倒産という困難を乗り越えて新たな成功を収めた行動力は素晴らしいですね。
泰芳さんは、ノダで常任監査役を務めた際にも、同社の経営に深く関与し、重要な役割を果たしました。
息子の鷹之さんも、父のこの姿勢を見て、ビジネスマンとしての生き方や責任感を学んだことでしょう。
父の経歴の時系列表
以下は、小林鷹之氏の父・小林泰芳氏の経歴を時系列でまとめた表です。
年 | 経歴 |
---|---|
1942 | 香川県三豊市に生まれる |
~ | 香川県立高瀬高等学校を卒業 |
~ | 大学卒業後、中堅総合商社「大倉商事」に入社 |
1980年代 | インドネシア・ジャカルタに駐在、木材調達を担当 |
1994 | 「カナダ大倉」社長に就任 |
1998 | 大倉商事倒産、キャリアの転機を迎える |
2000 | 「株式会社ノダ」に再就職、貿易事業部長に就任 |
2002 | 「株式会社ノダ」の取締役に昇進 |
2008 | 常任監査役に就任 |
2012 | 「株式会社ノダ」を退職 |
2015 | 73歳で死去 |
小林鷹之が尊敬する父の人物像とは?
小林鷹之さんは、自身の政治活動においてしばしば父・泰芳さんへの深い敬意を表明しています。
父は仕事に対して熱心であり、息子がその姿を見て尊敬の念を抱いた理由は多々あります。
特に、泰芳さんが息子に対して常にサポートを惜しまなかったことや、倒産後の復活劇が、彼にとって重要な教訓となっているようです。
父との特別な思い出
小林鷹之さんは、父との特別な思い出として「リンカーンメモリアル」を挙げています。
小林鷹之さんがアメリカ留学中、泰芳さんが訪れた際に一緒にこの歴史的な場所を訪れたことが、二人の絆を深める出来事だったと語られています。
父と息子の絆は、単に家族の関係に留まらず、深い尊敬と感謝に基づいたものでした。
まとめ
小林鷹之さんの父・泰芳さんは、決して「普通のサラリーマン」ではありませんでした。
彼は商社の社長を務める一方で、倒産という試練に直面し、その後もキャリアを築き上げた強い人物でした。
そんな父の姿は、息子にとって大きな尊敬と教訓の源となり、彼の政治活動にも影響を与えています。
困難に直面しても諦めずに挑戦し続ける姿勢は、今も息子・小林鷹之さんの心に深く刻まれているでしょう。
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