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袴田事件は冤罪ではない理由の真相は?愛人が複数いた被害者が判明

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1966年に静岡県で発生した「袴田事件」は、味噌会社「こがね味噌」の専務一家4人が○害された凄惨な事件です。

この事件により、袴田巖さんが死刑判決を受け、その後約48年間もの間収監され続けましたが、2024年に再審で無罪が確定しました。

しかし、「冤罪ではない」という意見も依然として存在し、事件に関する様々な疑念が浮上しています。

本記事では、事件に関わる背景や証拠を振り返りながら、「袴田事件は本当に冤罪ではないのか」についての考察や愛人がいた被害者について話していきます。

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袴田事件は冤罪ではない理由は?

天秤

袴田事件が冤罪でないと主張する立場には、いくつかの理由があります。

その中でも、特に注目されるのは以下の点です。

物的証拠の存在

事件後、袴田さんの部屋から発見された血痕付きのパジャマは、当初「犯行の物的証拠」として大きな役割を果たしました。

警察の鑑定では、パジャマに付着していたシミが被害者の血液型と一致するという結果が出ました。このパジャマが決定的証拠とされ、袴田さんが犯人とされました。

犯行に使用された刃物と雨合羽

犯行に使用されたとされるクリ小刀の鞘が、袴田さんの同僚の雨合羽から見つかったことも重要な証拠でした。

雨合羽は工場内にあったものですが、警察はこれを内部犯行と結びつけました。

また、犯行当夜に使用されたとされる油と袴田さんのパジャマから検出された油が「ほぼ同じ性質」と鑑定されたことも、袴田さんに不利な状況を作り出しました。

一度は有罪が確定したこと

裁判において、一度は有罪が確定し、死刑判決を受けていたことも「冤罪でない」とする論拠に挙げられます。

袴田さんの自白は、取り調べの過酷さが影響しているとされるものの、裁判所での判断では一部の供述が信用に足るものとされたため、死刑判決に繋がりました。

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袴田巌はなぜ疑われたのか?

袴田巌
引用元デイリー新潮

捜査初期、事件の動機については強盗説と怨恨説が混在していました。

橋本邸からは現金8万円が奪われていたとされていますが、一方で従業員の給料袋に入った金はそのまま残っており、通帳や印鑑も手つかずの状態でした。

このため、「金銭目的の強盗ではなく、別の動機があったのではないか」と考える捜査員も多くいました。

しかし、警察は最終的に「強盗殺人」として袴田巖さんを逮捕し、事件を収束させました。

強盗殺人として捜査が進められた背景には、警察がこの事件を迅速に解決したかったという側面も指摘されています。

結局、警察は怨恨説をさっさと捨てて「強盗殺人」に仕立てる。奪われた金は8万円ほどで、今なら40万円くらいか。

しかし橋本邸からは、従業員用の給料十数万円が袋に入ったまま見つかり、通帳類も印鑑もそのまま。

とても強盗目的とは思えなかった。後の供述調書での巖さんの「犯行動機」はころころ変遷し、最終的に「子供と一緒に住むアパートの資金が欲しかった」となる。その程度の金なら橋本藤雄専務が貸してくれただろう。

橋本専務は働き者の巖さんを可愛がり、高級な背広を与えてくれたりした。恨みなどあるはずもない。

引用元 デイリー新潮

現場から発見されたパジャマのシミや油の鑑定結果など、物的証拠が袴田さんの関与を示唆するものとして扱われ、取り調べでは激しい圧力のもとで袴田さんが自白に追い込まれたとされています。

そのため、冤罪の可能性が疑われてきました。

後にパジャマのシミ等は捏造であったと判明されました。

袴田巌さんに無罪を言い渡した静岡地裁の再審判決は、犯行着衣とされた「5点の衣類」について「捜査機関が隠匿した捏造(ねつぞう)証拠だ」と言い切った。有罪を支えた袴田さんの自白調書も「実質的に捏造された」と指摘し、いずれも証拠から排除した。

引用元 JIJI.COM

さらに当時の静岡県警には以下のような焦りがあったようです。

 1940年代から50年にかけて静岡県内で起きた上記の殺人事件は、いずれも二審まで有罪だったが(幸浦事件と二俣事件は死刑、小島事件は無期懲役)、東京高裁での差し戻し審理を経て、最終的に最高裁で被告人の無実が判明してことごとく無罪となる。

さらに取調室での拷問などが露呈し、県警は世間に批判されていた。

引用元 デイリー新潮

当時の警察は、こういった冤罪や常軌を逸した取調が露呈し、信用を取り戻そうと袴田事件の解決を焦ったのかもしれませんね。

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袴田事件で愛人が複数いた被害者とは?

引用元 デイリー新潮

事件の被害者である専務・橋本藤雄さんは、「こがね味噌」を経営する一家の一員であり、地元でも知られた存在でした。

しかし、事件後の捜査や報道から、橋本専務には複数の愛人が存在していたことが明らかにされています。

逮捕当時のマスコミは、巖さんについて盛んに「女癖が悪い」とした。

だが被害者には申し訳ないが、女癖が悪く複数の愛人がいたのは巖さんではなく、殺された橋本藤雄専務だ。

噂レベルの話ではなく、静岡県警の捜査報告書(1968年2月印刷)は、専務と交際のあった女性2人を実名で記録している。

引用元 デイリー新潮

警察の捜査報告書によると、専務と関係を持っていた女性は少なくとも2名確認されており、そのうち一人は既婚女性でした。

この背景から、橋本専務の個人的な人間関係が事件の動機や原因として関連していたのではないかと疑う声が上がっていました。

では、橋本専務の愛人関係が事件の真相にどのように影響しているのでしょうか?

一部の捜査関係者や評論家の中には、この複雑な人間関係が怨恨や嫉妬による犯行動機に繋がる可能性があったと指摘する人もいます。

特に、橋本専務の愛人の配偶者や交際相手が、嫉妬や恨みを抱き、犯行に及んだのではないかという説が唱えられていました。

橋本専務の愛人関係と犯人の特定

橋本専務の愛人関係については、捜査の中で浮かび上がったものの、結局のところ、彼の交際相手やその周辺人物からは犯行を行ったとする証拠は見つからなかったそうです。

捜査は専務の女性関係にも及びましたが、容疑をかけられた女性たちやその配偶者などにアリバイが確認され、結局は関与がないと判断されました。

定かではありませんが橋本専務の交際していた女性たちに恨みを抱く人物がいた可能性は否定できない気もしますね。

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まとめ

袴田事件において、袴田巖さんが冤罪でないとする理由には、物的証拠や彼自身の自白、そして一度有罪が確定した事実が含まれます。

しかし、再審ではこれらの証拠の信頼性に重大な疑問が投げかけられ、最終的には無罪判決が言い渡されました。

また、橋本専務の愛人関係も、事件の背景を複雑にした要因の一つであるものの、直接的な犯行動機や証拠とは結びつかなかったことも事実です。

つまり、事件当初からの警察の捜査手法や証拠の扱い方には不備があり、その結果として袴田さんが冤罪の犠牲者となった可能性が極めて高いと考えられています。

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